自由と束縛 | 刹那的雑記

自由と束縛

自由と束縛について本気出して考えてみた。

もともと自由ってのはなんなのか。

それはまさに今僕が自由気ままにこんな夜中にブログ書いていられることか。
それとも好きな時間にエロ本読んで、自慰に熱中プロ野球並に熱くなれることか。つまりは自由ってのは時間の空白なんじゃないだろうか。そしてそれはそのまま束縛の強制によって、際限なく埋められていく。

とすれば、束縛から解放される術を持てば、僕はいつでも自由を好き勝手に行使できるんだろうか。そうかもしれない。

では、束縛からの解放ってどうすればいいのだろう?

学校を辞めることか?就職を蹴ることか?卒論をほっぽらかすことか?

よくよく考えてみれば、束縛というのは確かに時間の空白を埋める。
それは自由の搾取という意味でも繋がっていく。
けれど、束縛は必ずしも我々にマイナスだけをもたらすのではないんじゃないかな、とふと気づく。

学校の束縛は、将来進学して就職まで行けるように自分を高めさせてくれるありがたい制度だし、就職の束縛は、時間を浪費する代わりに金という形になってキャッシュバックされる。

結局は、僕たちは時間の空白を埋める代わりに何かしらの恩恵を受けているということか。

そう考えれば、自由を搾取されることも仕方のないことなのかもしれない。
そもそも社会のシステムがそういう仕組みなんだ。

働かざる者食うべからずの精神が、この日本社会に浸透している今、僕たちはやはり、何らかの規則やルールに縛られることによって統制されていくのだろう。

金が無ければ、結局は時間の空白さえも作ることは出来ないというパラドックスが、働き者の日本人像を生み出しているのかもしれない。

うん、自分に言い聞かせると言う意味で納得!

さて、と・・・卒論か・・・。これも卒業という恩恵を授かる為の過程だ。
人間楽しても何も得ることはないのかもしれない。
極一部を除いて。。。

そういうことだから、僕も自由を少しは削って、自分の為に切磋琢磨していかなきゃいかんな。それによって得る物もまた大きいから。















あ、その前に


































メタルギアしなきゃ